ある日のことです。
お寺の庭の陽だまりに椅子を出して、
ご住職とお檀家のおじいさんとの茶飲み話・・・・・
「ご住職、家内に先立たれて、さすがの私も少々気落ちしているところに、
年甲斐もなく、孫と喧嘩してしまいましてね。。。
また沈んでおりますよ。。。トホホホ・・・・」
「お孫さんと喧嘩ですか。原因は何ですか?」
お茶を一口に飲んでおじいさんが語り始めました。
「先日亡くなった家内の四十九日を終え、納骨も済ませましたが、
お墓の帰りに私の孫がですね、
こんな事を言ったのです。。。。
「おばあちゃんの骨を拝んだってしょうがないよ!!骨はカルシウムだよ!
死んでしまったらおしまいだ!高い金でお墓作ってさ、
もったいないよ! おじいちゃん!!」
私の可愛い孫ですがね。さすがにカッときましてね。
私、言ってしまったんです。
「何言うか。おばあちゃんが七十四歳で亡くなったのは
お前も知っているはずだ!
そのおばあちゃんと七十四年間も一緒に生きてくれた身体だぞ!
お前の言う通り、人間は死んでしまったら肉体は魂の抜け殻、意識ももうない。
けれどなぁ、この肉体をいただいたからこそ
人間として生きることができるのだ!
おばあちゃんも肉体があったからこそ、人として生きることができたのだ!
七十四年間もの長い間だぞ!
赤ん坊のお前をおぶったり、だっこしたりしたのもおばあちゃんの肉体だぞ!
お前が自動車に轢かれそうになったのを守ってくれたのもおばあちゃんだ!
おばあちゃんの肉体だ!
お前のお父さんを産み育てたのもおばあちゃんの肉体ぞ!
カルシウムだと!?馬鹿言え!!
お骨になってもおばあちゃんの肉体だ!おばあちゃんそのものだ!
だから大切にするんだ。感謝してもしきれないんだ。
だからお墓に入れて感謝して供養するんだ。
亡くなったからといって粗末にできるか!バカモン!!!
・・・・・こう怒鳴ってしまったのですよ。ご住職。」
少々、興奮気味に語るおじいさんの言葉をじっと聞いていたご住職が
しばらくして言いました。
「私もこの肉体をいただいたおかげで、何十年もの長い間、
いろいろな経験をつんでこれた。
良い思い出もあったし、悪い思い出もあった。。。。
人間として今まで生かさせて戴いた。
それを思うと、とても、お葬式なんていらない。お墓なんて必要ない
などといえないです。
まるでゴミを扱うようにこの肉体を扱う事は、私にはできません。。
おじいさん、おじいさんの言われたことは決して間違ってはいませんよ!!」
ご住職のお話におじいさんは安心して、ホッと胸を撫で下ろしました。
「ところで、お孫さん、それからどうしました?!」
「私があんまり声を荒げて怒ったもので、びっくりしたらしいのですがね。
実は・・・・・今頃、謝りに行っておるのですよ!」
「えっ?どこへ謝りに?!」
「お墓にね。私に謝るより、おばあちゃんに謝ると言って、
花を持って行ったそうです。。。
それを聞いて少し気が晴れましたよ、ご住職・・・・・」
「ほほう。それはそれは・・・・・。お墓があって良かったですね・・・・・」
暖かな日差しが二人を包んでいます。